いくい雑記

言語学や日本語学のことを書き留める場所にしたい。

なぜ「先」は過去にも未来にも用いられるのか?

2021年9月、新聞は衆議院議員選挙に関する記事に多くの紙面を割いていた。日程を巡る情報や憶測、それに対する各方面からのコメントが連なり、文中には「前倒し」「先送り」が繰り返し登場した。「衆院選を前倒しにすることにより――」「解散により総裁選が先送りになる可能性も――」。脳内で各日程の順序をぐるぐると入れ替えているうちに、「『先送り』って日程を未来にずらすって意味で合ってるよな?」と自身の言語感覚まで混乱してきた。流行の先取り、先見の明……「先」は未来のことで良さそうだと納得しかけたが、よく考えれば「先週」や「先の大戦」は過去のことだ。一体なぜ「先」には真逆とも言える用法があるのだろうか?

「先」の辞書的な意味

まず、「先」に過去と未来の用法があるという見解が私の勝手な思い込みでないことを、辞書で確認する。

  1. 元から遠い、突き出ている部分。先端。突端。「岬の―」「針の―で突く」「鼻の―」
  2. 長いものの末端。はし。「ひもの―」
  3. 続いているものなどの一番はじめ。先頭。「列の―」「みんなの―に立って歩く」
  4. ある点や線を基準にして、その前方。「仙台から―は不通」「三軒―の家」「駅は目と鼻の―だ」「―を行く車に追いつく」
  5. 金額・数量などが、ある額・量を超えること。「千円から―の品はない」
  6. 継続している物事の残りの部分。「話の―を聞こう」「―を急いでいる」
  7. 行き着く所。目的の場所。「―へ着いてからのことだ」「行く―」
  8. 未来のある時点。将来。前途。「―を見通しての計画」「―の楽しみな青年」
  9.  時間的に前。あることより前。「代金を払うのが―だ」「ひと足―に帰る」⇔あと。
  10. 現在からそう遠くない過去。以前。「―の台風の被害」「―の大臣」
  11. 順序の前の方。「名簿の―の方に出ている」「だれが―に入りますか」「お―にどうぞ」⇔あと。
  12. 優先すべき事柄。「地震のときは何より火を消すのが―だ」「あいさつより用件が―だ」
  13. 交渉の相手方。先方。「―の出方しだいだ」
  14. 相場で、「先物」の略。
  15. 行列の先導をする役。さきおい。さきばらい。
  16. 「先駆け」の略。先陣。
  17. 「幸先(さいさき)」の略。

goo国語辞書より

8には「未来」、10には「過去」と確かに書かれている。

インターネット上の知識人による考察

インターネット上の情報が玉石混淆であることは重々承知しているので鵜呑みにはしないが、何をどう調べていいか分からない時にはとっかかりとして非常に役に立つ。「先 過去 未来」というキーワードで検索をかけていくつかのサイトを覗いてみると、ドンピシャの内容に行き当たる。

togetter.comあまりにお誂え向き。これは楽に答えに辿り着けるかもしれない。

記事の内容をざっくり要約すると以下の通りである。

音読み「先(セン)」は過去の用法、訓読み「先(さき)」は過去と未来の用法があることから、日本語独自の変化と推測。過去の用法は奈良時代から見られ、未来の用法は室町時代頃に出てきたという。これは、時間の「先(前方)」を「過去」と捉えるのが主流だったのが、時代とともに「未来」と捉えるのが主流になっていったのではないか、と仮定。

……。面白い。確かに面白い。だが、「先」の用法の変化を以って、人々の時間の捉え方が変わったと言ってしまうのは論が飛躍している観がある。用法が変化したきっかけについても「謎」の一言で片づけてしまっているのも残念である。(書いたご本人も「やや大胆に予想」した考察であると書いているので仕方がないかもしれない。)

納得できる答えが得られなかったのは残念だったが、「先」について考える上でのヒントは得られた。

  • 音読み「先(セン)」は原則として過去の用法で、訓読み「先(さき)」に過去と未来の用法があることから、和語「さき」について考えればいい。古中国語については除外。
  • 空間や順序での用法についても考えたほうが良さそう。
  • 認知言語学の分野からアプローチできそう。

非常に有り難いことに、リンク付きで認知言語学の論文を2本紹介してくださっていた。次はそれらに目を通してみよう。

先行研究①

まず1本目は、楢和千春(1997)「時間表現における『先』について」(https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/87627/1/dyn00001_059.pdf)である。「先」に過去と未来の用法がある原因は認知言語学の観点から解き明かせるとした論文である。

詳細については論文を直接読んでもらうのが一番なので割愛するが、以下に「先」を考察する上で参考になりそうなポイントを抜き出す。

  • 日本語では時間は一次元の線として認識されている。(時間を「長い」「短い」「遠い」「近い」など長さや距離で形容することから)
  • 概念の認識と語の用法には密接な関わりがある。
  • 抽象的な概念には、類似性を見出された身近な概念の語を転用する。(メタファー)
  • 「先」はイメージスキーマによって説明できる可能性がある。

スキーマとは、人間が物事をカテゴライズする際に用いる要件のことであり、イメージスキーマは図式化できる位置関係を要件に含むものを指す。「先」を「先」たらしめている要件(スキーマ)というものが存在し、時間という抽象的な概念との類似性を見出されて「先」は時間にも用いられるようになった。広く派生していった結果として、一見相反する「過去」と「未来」の用法が両立している可能性があるという。

(スキーマについては、もっと言葉を尽くしたほうが正確に伝わるのだが、話が逸れるのでここでは省略する。詳しくは認知言語学の入門書で)

先行研究②

続いて、寺崎知之(2010)「空間語彙と時間語彙への意味文化の考察 ─日本語の『サキ』の分析─」(https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/141361/1/pls16_1Terasaki.pdf)である。こちらは、空間に用いる語を派生させて時間にも用いるようになったという説を「先(さき)」を例にとって検討した論文である。「先」についての先行研究の概観がとても参考になったのでそれらの論文に当たりたかったが、悲しいかなコロナ禍で外出が憚られ国会図書館に行くに行けず、寺崎(2010)に書かれている限りを参考とする。

  • 「先(さき)」の基本要件(スキーマ)は、①長く細いもの、②方向性がある、③その到達点、である。(①は②に含まれるとも考えられる)

考察

人間の思考はことばに依るところが大きい。ことばを思考の道具として使うことに限った話ではない。この混沌とした世界をことばによって分節・分類しなければ、我々は世界を理解することすらままならない。ただしこれも、人間という生物の五感に基づく主観的な理解である。人間がどのように世界を認知しているかが、ことばの在り方に一定の影響を与えていると言えよう。

大前提の話はこれくらいにして、今回のテーマである「先」の話に戻ろう。

「先」という語が本来の用法から広く転用される中でも、①長く細いもの、②方向性がある、③その到達点、という3つの要件(スキーマ)が守られてきたことは先行研究でも確認した。しかし、これらの要件も固く守られてきたわけではなく、その時々で要件の比重も変わり、各要件を満たすか否かも「人間がそうであると感じればいい」という具合であった。「先」の用法の中でもとりわけ身近で具体的な「枝の先」「剣の先」「箸の先」等の用法でもそうだ。「①長く細いもの」という形状の要件はまさに満たしているし、「③その到達点」も視覚的に捉えることができる。だが、「②方向性がある」はどうだろうか。枝には幹から伸びてゆくという確かな方向性があるが、剣や箸はそうではない。人間の手で持つ部分を起点と見立てたか、あるいは細ってゆく形状に方向性を見出したか。人間がそこに方向性を感じ取れれば十分で、物理的な方向性の有無は問わないのである。

では、時間にとっての方向性とは何だろうか。単純に考えるのであれば無論「時間の流れ」だろう。時間の流れる方向は「過去から未来へ」なのか「未来から過去へ」なのか。どちらが科学的に正しいのかを論じるのが無意味であることは前述した通りである。人間がどう感じているかが肝要だ。現代人の感覚で言ってしまえば「過去から未来へ」流れると思うのが一般的だろう。これらを「先」の要件(スキーマ)に当てはめると以下の通りである。

 ①長く細いもの:時間(参照:参考文献①)

 ②方向性:時間の流れ(過去から未来へ)

 ③到達点:未来

時間の「先」は未来ということになる。では何故「過去」の用法があるのだろうか? 過去が「③到達点」になるには、時間が未来から過去へ流れると考えられていなければならない。やはり昔の人は時間は未来から過去へ流れると感じていたのだろうか。現代のような時計が無かった時代、現代と時間の捉え方が異なったであろうことは想像に難くないが、現代と真逆(未来から過去へ流れる)となるものだろうか。一応文学部の出なので各時代の文学の基礎は習ったが覚えはないし、古代文学で卒業論文を書いた級友にも尋ねたが存ぜぬという。どうにも信じがたい話である。時間の捉え方が現代と真逆であった可能性を論ずるならば、「先」に限らず広く時間表現を検証していかなければならない。――が、今回の主旨から離れてしまうし、時代ごとのサンプル収集は大変すぎるので、「時間の捉え方が現代と真逆(未来から過去へ)であった可能性は高くない(完全には否定しない)」立場を取るに留めておく。

時間が過去から未来へ流れるものと仮定して、それを要件(スキーマ)に当てはめると「先」は未来である。……果たして、そんな単純な話だろうか? 私は時間を"安直に"要件に当てはめただけである。「先」には様々な用法がある(参照:辞書的な意味)が、それら全てが「先」のプロトタイプ的な用法から直接派生したとは思えない。プロトタイプ的な用法から直接派生したものもあれば、派生からさらに派生した用法があって然るべきである。つまり、プロトタイプ的な用法から直に派生したのが「未来」で、派生のさらに派生として生じたのが「過去」の用法ではないか、ということである。では、過去の用法はどんな用法から派生したのか。何の脈絡もなく派生したとは考えられない。性質的に時間に通ずる用法であるはずだ。辞書的な意味や先行研究から候補を挙げるならば、「順序」の用法が最も有力ではないだろうか。

順序の用法とはどういうものか。辞書的な意味の中だと、「3.続いているものなどの一番はじめ。先頭」と「11.順序の前の方」が順序の用法にあたるだろう。2つのうち、要件(スキーマ)との合致率が高い(プロトタイプ的な用法により近い)のは3であることから、ここでは3の用法をベースに考えてゆく。思考と理解の補助として、場面を想定しよう。人気の洋菓子店と、そこにできた長蛇の列ではどうだろうか。行列は人が線状に並んだもので、全体を一つとして捉えれば「①細く長いもの」と言えよう。誰もが洋菓子店で買い物をしたくて並んでいるので、列は洋菓子店へ向かう「②方向性」を持っている。「③到達点」にいるのは、誰よりも早く並んだ人である。早い、つまり時間で言えば相対的な「過去」だ。列の「先」にいる人は、誰よりも過去に列に並んだ人、ということになる。時間経過とともに出来上がった順序においては、進行方向に進むほどより「過去」に並んだことになる。このような順序の用法を時間の用法に派生させたのなら、「先」は過去となる。過去の用法は、順序の用法から派生したものではないかと私は考察する。

本論は以上で、ここからはオマケの話である。辞書的な意味で確認した過去の用法は、厳密には単なる「過去」ではなく、「現在からそう遠くない過去」だった。未来の用法には、そのような制約は無い。何故なのか。これもまた、過去の用法が順序の用法から派生したのなら説明がつく。時間の始まりと終わりは計り知れないが、順序というものは数えることができる。数えられる、つまり人間が把握することができるということだ。このような順序の性質が、派生先の過去の用法にも引き継がれたならば、「先」は捉えられる範囲の過去ということになる。未来の用法にはない「現在からそう遠くない」という制約も、過去の用法が順序の用法から派生した可能性を示しているのである。

まとめ

長々と講釈を垂れたが、「先」のプロトタイプ的な用法から直に派生したのが「未来の用法」で、「順序の用法」からさらに派生したのが「過去の用法」ではないか、ということである。以下の図は、私が以前SNSにあげた図解である。今回の記事と文言が異なる部分もあるが、大まかには合っているので手は加えなかった。(書き直すのも面倒だった)

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「先」が過去にも未来にも用いられる経緯図

参考文献

加藤重弘(2007)『学びのエクササイズ ことばの科学』ひつじ書房

谷口一美(2006)『学びのエクササイズ 認知言語学ひつじ書房

寺崎知之(2010)「空間語彙と時間語彙への意味文化の考察 ─日本語の『サキ』の分析─」『言語科学論集』16号pp.1-23

楢和千春(1997)「時間表現における『先』について」『ことばと文化』1号pp.59-67

@tarou1944 (2014)「風霊守先生による『なぜ“先”という漢字には“過去”と“未来”両方の意味があるのが?』講座」togetter.https://togetter.com/li/677603(参照2021年1月24日)